夕刊フジからの記事配信で、「日航の旧ロゴマーク(鶴丸)」を復活する動きがあるというニュースが流れていた。わたしは、再生チームの提案に大賛成である。ブランド論的にも、プラスに作用すると考える。授業でも、現在のロゴマーク(ランドー社)を批判している立場から、賛成の論拠を説明してみたい。
夕刊フジに掲載されたのは、「JAL「鶴丸」復活!?賛否両論、生まれ変わり象徴に?」(夕刊フジ)7月30日(金)17時0分、という記事である。
会社更生手続き中の日本航空(JAL)が、ロゴマークの変更を検討していることが分かった。社内にはかつて使用していたロゴマーク「鶴丸」を復活させてはどうかという意見もあるという。(後略)
詳しくは、ネットでの配信記事を読んでいただきたいが、まずは、わたしが知る限りで、現在のロゴマークが登場した背景を説明してみたい。
旧ロゴ「鶴丸」マークがモデルチェンジした年度は知らない。しかし、CI(コーポレートイ・ビジュアル・アイデンティティ)を手がけたのは、ブランドコンサルティング会社「ランドー社」であることはまちがいない。ランドー社は、ブランド論でもしばしば登場する米国西海岸のCIコンサル企業である。
日航が国際な航空会社に飛躍するために、伝統的・日本的な旧鶴丸マークに代えて、英語の「JAL」の文字をモチーフにした現代的なロゴを採用した。それをサンフランシスコのコンサル会社に依頼したのである。簡単にいうと、当時の日航経営陣は、CIの運動を、海外のエアラインと同じ土俵で、国際的に競争するための跳躍台と考えたわけである。
当時(たぶん、1980年後半~90年中ごろ)の状況から判断するに、時代背景的には間違ってはいない判断だった。完成したJALのロゴも、デザイン的にはシンプルでモダンだった。それ自身は、正解である。しかし、問題はその後に起きた。
JALを現在の破綻に追い込んだ遠因のひとつは、「東亜国内航空(日本エアシステム)」との「対等合併」であったと思う。合併そのものの失敗ではない。せっかくの合併を「企業再生」に活かすチャンスを逃したことである。実は、その象徴が、ロゴマークの「汚染」だとわたしは考えている。
ここからはそうとうに主観が入るので、お許しいただきたい。
合併が発表された2004年当時、国土交通省とJAL内部で何が起きていたのかはわからない。ウイキペディアの記事も参照してみたが、真相は藪の中でよくはわからない。とにかく、2004年時点では、「対等合併」という建前は別にして、JALのロゴマークを「ランドー社」のものから、いまの「中途半端なマーク」(改訂JALマーク)に変える必要などはなかったはずである。
ところが、合併をしてみたら、美しいJALのロゴマークには、旧日本エアシステムを連想される「ヤクザの傷」(斜体のJ)が入ってしまった。新ロゴマークは、「JAL+J」である。せっかく数十億円をかけて投じたCIがまったく無駄になってしまう。ありえない!と思った。
ロゴマークの変更は、社内組織の動きや経営陣の考え方を強く反映するものである。会社をどのように運営したいのか、どのような方向性にもっていきたいのかを示している。
JALとJAS(日本エアシステム)の合併は、表向きは対等である。しかし、現実はちがうのである。社内組織力学や政府の干渉とは無縁で、経営の舵取りは進められるべきものである。戦略的には、JALを国際的に通用するグロバールカンパニーにもっていくことであった。それは、建前だけだった。「慣性」がついていて、もう誰も止められなかった。
ロゴマークの再度の変更プロセスを見ていて、日航の経営陣が何も考えていないことがわかってしまった。JALの経営コントロールは、「足して2で割ること」(だから、JAL+J)などできない。きびしい経営環境の中にJALはあった。客の顔を見ないで、組織内部に向ってしまう行動。それをやってしまったのである。
「汚されたJALのロゴマークを見て欲しい!」 2005年度からは、大学院のブランド論の授業や講演で、JALのロゴマークの話を繰り返し繰り返し、述べてきた。わたしの授業を受講したり、数年前に講演を聞いてくれていた人は歴史の証人である。だから、今回の再生チームの鶴丸マークの復活には期待したいのである。
JALが経営破綻と失敗の歴史から逃れるには、「日本航空」のアイデンティティに戻るべきである。日本のフラッグシップエアラインとしての「誇り」を取り戻すべきである。現在のマークは、経営の舵取りの失敗と汚れたブランドの象徴である。だから、いったんは廃棄したほうがよいだろう。
多少のお金を投じるのは仕方がない。復活にプラスになるのであれば、数億円のお金をブランド再生に投じるのは、帳尻が合わないわけでもない。
従業員の意識改革をするには、まずは形から入るべきである。いくつかの条件はすでに変わっている。パイロットの給与も世間並みになった。それが普通なのだと思う。痛みを伴ってはいるが、JALに関しては、再生の条件が整いつつあるのだ。
(注釈 *わが法政大学の教職員についても、実は待遇が良すぎ、給与水準が高すぎるのが心配である。このことを、。わたしは、法政大学(大手私立大学)の「JAL現象」と呼んでいる。こんな状態が長く続くはずはない。JALの破綻を手本にして、早々に未来に備えるべきである)。
「鶴丸印の復活」に賛成する重要なポイントが、もうひとつある。90年代には、国際的に通用するキャリアとしてJALを位置づけたときに、差別化のポイントがJALにはまったく見当たらなかった。低価格で競争をしかけたら、つぶれることはわかっていた。
経営陣も従業員も、骨身を削るつもりが無いなかで、時間だけが流れていった。それでも、従業員・経営陣の立場(高い年金、高い退職金、高い賃金)は守られるだろう。JALの従業員たちは、ぼんやりと根拠なく信じていたのである。計算すればわかることである。ありえない確信と淡い期待だった。しかし、事態は転回している。いや旋回している。
当時は、航空会社として、サービスの差別化をどのような角度からであれ、目指すことができなかった。低価格の運賃競争では、高い運行費用、旧式の大型機材、高い賃金水準、どれをとっても経営の桎梏になる。しかし、今は別である。基本的な条件は変わっている。だからこそ、低価格競争からは、逆に逃れるべきである。
言いたいことは、ホスピタリティの高いサービスでの差別的な優位性を、新生の日航はめざすべきだということである。例えて言うのならば、SQ(シンガポールエアライン)のポジションである。この時代、破綻した企業なのだからこそ、マスの標準化からは離れるべきである。
遺伝子は継承されているかもしれない。そのように期待したい。鶴のマークを背負ったエレガントな日本航空。優雅な顧客サービス。ただし、経営的な視点をきちんと取り入れたマネジメントチームが実行する。稲盛さんの最後の仕事が、それではないだろうか?
サービスブランドとして、フライトに付加価値を! ブランド価値を向上させることで、グローバルに顧客満足度ナンバーワンのエアラインにふたたび戻る。そのためには、ロゴマークを鶴丸に戻すことである。ただし、単なる旧型ロゴマークの復活ではない。もっとモダンな鶴のマークに、外見(ロゴ)も内容(経営、サービス)もリメークしてほしいのである。