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【学生感想文】里村佳子 著『尊厳ある介護』岩波書店
 読書感想文優秀者5名を掲載する。
(柳澤彩花、森元輝、和泉愛里紗、富田結衣、根岸鈴音)

 

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『尊厳ある介護』を読んで   柳澤 彩花


 本書を読んで初めて、介護についてすごく深く考えさせられた。
 本書を読む前は、介護と聞くとまだ自分には関係のない、遠い先の話だと思っていた。しかし、よく考えれば、年齢的には自分の親も介護保険の対象になる歳であり、また、祖父母に介護が必要になる時期もそう遠くはないだろう。正直、自分の身近な人に介護が必要となる時が必ず来る、ということから目を背けたいと思っている自分がいるが、絶対に避けられない未来だということも十分にわかっている。
 それを踏まえると、20代の今のうちに本書を読み、色々学び、考えることができたことは、自分にとっても、親や祖父母にとっても、意義あることであったと思う。
 以下で、私が今後介護をする側の人間となった際、気をつけなければならない重要なポイントだと考え、印象に残った3点についてを、詳しく述べていきたいと思う。

 まず1つ目として、"介護される側はどうせわかっていないだろうと考えてしまう過ち"についてが印象に残っている。ここで言う介護される側とは、主に認知症などで物忘れが激しくなった人を指す。物忘れが激しい=何もかも忘れて記憶していないと考え、どうせ覚えていないから、多少嘘をついても大丈夫だと考えてしまう人が多いそうだ。
 実際、私もこのような考えを持ってしまっており、本人を安心させることが目的なのであれば、多少の嘘はついてしまっても良いのではないかと考えていた。
 しかし、これは大きな間違いであった。例え、認知症により記憶力が低下していたとしても、感情ではしっかりと記憶しているということを、私は知らなかった。もちろん、嘘をついて小馬鹿にするようなことは絶対にしてはいけないとわかっていたが、不安を和らげたいなど、相手を思いやっての嘘であればむしろ効果的なのではないかと、誤った考え方をしてしまっていた。
 幸いにも、現時点では、誤った考えゆえの誤った行動を実践してしまったということはないので、今の時点で気づくことができて本当によかったと思っている。

 次に2つ目として、"上から目線の言葉遣いで接してはいけない"ということについてが印象に残っている。自分が介護をする側で、相手に寄り添いたいと思えば思うほど、『してあげる』などの言葉遣いをしてしまう気持ちは、正直わかるような気がする。
 私が中学生の頃、1つ下の学年に、身体的な障害をもった男の子がいた。学年が違ったため、そこまで多くの関わりはなかったが、教室移動などでたまに見かける機会があった。
 授業のため、友達と一緒に家庭科室に移動をした時のことを私は思い出した。前の授業で家庭科室を使っていたのは、彼の所属するクラスだった。彼は教材などの片付けに時間がかかっており、その様子を見た私の友達は、片付けを手伝いに行った。そのまま一緒に教室を出て、移動までを手伝っていたため、友達は授業開始に少し遅れてしまった。遅れた理由を先生に問われ、友達は「◯◯君のお世話をしてあげていたからです」と言った。それを聞いた先生はいきなり大きな声をあげ、その言い方はおかしいと怒った。自分の力で頑張っている彼に対して、『お世話をしてあげる』という上から目線の言葉を使ったことに怒っていたのだ。

 今考えてみると、この話は、介護において上から目線の言葉遣いをしてはいけない、ということと似ているように感じる。介護される側は、自分にとって人生の大先輩であり、上から目線の言葉遣いをしてはいけないどころか、常に敬意を持って接さなければならないということが書かれていた。障害をもった人、病気を患っている人、高齢者など、相手に関わらず、常に相手を尊重する気持ちを持ち、言葉遣いには気をつけなければいけないなと強く思った。
 今後自分が直面する、親の介護をする際には、これまで育ててくれたことに対する敬意をもつことを忘れないようにしたいと思う。

 最後に3つ目として、"介護施設を決める際には施設長と会って理念をしっかりと聞くことが重要である"ということについてが印象に残っている。本書を読む前は、介護施設などどこでも同じようなものだと考えていた。家の近くであれば入所も楽であり、訪問するのも楽であるから、家の近くに決めるのが当たり前だと思っていた。
 しかし、本書を読んで、安易な考えで選択してしまってはいけないということを学んだ。少し大げさかもしれないが、私は介護施設の選択は、就職活動における企業選びと似ているように感じた。しっかりと理念を聞き共感できるところに入る、という点で全く同じだと思う。
 そこで、将来親が入所する介護施設を決める時がやってきた際には、自分が就職活動をしていた時のことを思い出し、同じ気持ちで選ぶようにしたい。

 最後に、介護についてあまり深く考えたことがなかった私にとって、本書を読んだ意味は大いにあったと思っている。この貴重な機会を、絶対に将来につなげたい。



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『尊厳ある介護』を読んで   森 元輝


 私はこの超高齢社会に生きていながら介護のことを全くと言っていいほど知らない。せいぜいドラマやサスペンス劇場のワンシーンで目にするくらいである。だが、これからの人生において介護を無視できなくなる日は必ずくる。もしかしたらそれが明日かもしれない。今回の著書、「尊厳ある介護」は私に多くの知識(認知症患者の介護について)を与えてくれた。

 認知症患者の介護に当たって必要なのは認知症についての知識である。認知症とは脳の器質的な障害によって生じる症候群のことであり、大きく中核症状と行動・心理症状の二つに分けられる。では、認知症患者とはどのように関われば良いのか。
 まず、嘘はつかないことである。嘘をつくことによって信頼関係に溝を作ってしまうためだ。どんな時も正直に、患者の気持ちと向き合うように会話をすることによって心を開いてもらえるようになると著者は考えている。
 負の感情が引き起こす行動は受容によって解決することもあるそうである。著書に、他人の物を自分のものであるという患者の例が挙げられていた。これに対してヘルパーの方々は、患者の話を親身に聞くことによって問題の解決に至ったという。

 認知症の方のプライドを維持できるような接し方をすることも大切だ。たとえ認知症になったとしても、人は誰かの役に立ちたいと思うのだという。その思いを尊重し、プライドを維持できるような接し方をすることで患者を笑顔にできるのだと著者はいう。
 非言語コミュニケーションを取ることも時には大切であると著者は考えている。認知症が進むと言語でのコミュニケーションが困難になり、自分の気持ちを伝えることができなくなって孤独に陥ってしまうそうだ。そんな時、非言語コミュニケーションは患者の感情を理解するのにとても役に立つのである。
 他にも認知症患者との関わり方についていくつか書かれていたが、共通点としては「患者に対して親身に、その人の気持ちを汲むような行動をとる」ということであると私は思った。認知症であろうとなかろうと関わり方を変えず、その人の気持ちと向き合うことが大切なことであるのだ。

 著書には介護についての喜びや奥深さについても書かれていた。これは私自身が一番知りたかったことである。テレビのワンシーンで介護を見る際は、必ずと言っていいほど辛い、きついという感情がつきまとっている。果たしてそうなのか、喜びや嬉しさと言った正の感情はないのか、疑問を抱いていた。著書では私の疑問を晴らしてくれるような内容も書かれていた。
 介護の重みと喜びを、ずっと一人で暮らしていた患者が教えてくれたという。その方は著者に挨拶をされただけで涙ぐまれ、大変嬉しがっていたそうだ。当たり前の行動が患者にとっては嬉しいことで、その笑顔がヘルパーの方々に喜びや責任感を与えているのだなと感じた。
 介護をする中で患者から学ぶこともあったそうだ。言わずもがな患者の方々は高齢者の方がほとんどである。そんな人生の先輩方から著者は「幸福の秘訣」を学んだそうだ。高齢者の方々を見習い、些細なことにも幸せを見つけて感謝することを心がけているそうだ。

 著書を読んで感じたことは二つある。一つ目は認知症の方との関わる際、一般人と区別してはいけないということ。認知症であるにしろないにしろその人の心と向き合うのが一番大切であると感じた。二つ目は介護には正の感情もつきまとうということ。もちろん辛いこともあるが得るものもとても大きなものであるのだと感じた。
 これからますます高齢化が進み、介護の知識は必要不可欠となってくるであろう。著書は私に、これからの社会に必要な知識を、何より心と向き合う大切さを教えてくれた。


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『尊厳ある介護』を読んで   和泉愛里紗


 この本を読んでまず、認知症について正しく理解していなかったと気づかされた。あやふやな知識から醸成されたなんとなくのイメージはあったが、実際に認知症がどんな病気なのか全く分かっていなかった。また、テレビなどで認知症予防については取り上げられていることが多いため認知症予防についてはよく聞くが、認知症になった後のことを詳しく教えてくれることはあまりないと感じた。

 認知症患者の正しいケアの方法について読み進めていくと、どれも人とのコミュニケーションにおいて基本的なことが多いと感じた。相手の話に傾聴する、相手の名前を呼ぶなど認知症患者ではなくても、誰かとコミュニケーションをとる際に当たり前に行うことである。しかし、介護する家族にとってはそれが難しいことだと思う。病気の影響で人格に変化が生じた家族を目の当たりにすると、認知症になる前はこんな人じゃなかった、という思いから基本的なコミュニケーションの当たり前を忘れてしまうのだろうと感じた。

 「尊厳ある介護」というタイトルを聞いて、まず考えたことは私の祖母のことである。私の祖母は何度も病気を繰り返し、現在は在宅介護という形をとっている。在宅介護になる前は、体制の整った大きい病院にしばらく入院していた。しかし、回復の見込みがないことから小さい病院の終末期病棟に転院させられた。祖母は病気の回復の見込みはなかったが、明るい性格からそんな状況でも家族や看護師とのおしゃべりを楽しんでいた。しかし、終末期病棟には話し相手どころかシャンプーや着替えすらもまともにやってもらえなかった。そんな環境の中で心身ともにみるみるうちに弱っていく祖母を見てられず、少しでもまともな生活をさせてあげられるのなら、と在宅介護に踏み切った。生活水準が下がったことでここまで性格まで暗くなってしまうのかと、見舞いに行くたびに心配になった。

 本書の中でも環境が悪化することで認知症の進行を早める、という記述があった。祖母は認知症ではないものの、生活環境の悪化が心身ともに衰弱させていったことは間違いない。どうすれば祖母にとってベストなのか、その当時は家族で相当悩んだ。介護にまつわる知識は、実際に必要を迫られないと知らない人が多い。その分、必要になったときにたくさん悩み苦しむのだろう。現代の高齢化社会ではさらに介護というものが身近になる。介護に関する正しい知識をシェアしていくことが必要だと考える。

 在宅介護になってからは、家族への負担は増えたものの祖母の様子は次第に明るくなった。家族や介護スタッフ、ペットの猫とのコミュニケーションのある日常によって祖母のおしゃべり好きな性格が戻ってきた。さらに、介護スタッフによって祖母が車いすに乗っているのを目にしたときは衝撃を受けた。というのも、入院していたときは医者からもう車いすに乗せることは不可能といわれていたからだ。祖母はもう外に出ることもできないのか、と家族全員悲しんでいただけに、とてもうれしい出来事であった。

 このように、周りが危ないからと「できないこと」と決めつけてしまうことで、その人ができることまでも「できないこと」になってしまうのだと感じた。自分でできることが少なくなっていくと、それがストレスとなり認知症の進行を早める。ただ、認知症でなくても自分でできることが少なくなるということは人生の豊かさが少しずつ失われていくということだろう。

 私のように、認知症についてなんとなく知っているが、実際どんな病気なのか正しく理解していない人はたくさんいると思う。そんな人の家族や大切な人がもし認知症になったら、どうケアするべきか分からず、筆者がたくさん出会ってきた認知症患者の家族と同じように悩み苦しむだろう。そしてもし認知症について正しい知識があったら、早期診断と正しいケアによって病気の進行を遅らせることができた、と後悔するかもしれない。認知症は今や珍しい病気ではなく高齢者でなくても誰にでも起こりうる。現在介護に悩んでいる人はもちろん、身近に介護が必要な人がいなくてもこの本を読んで欲しいと思った。

 どんなに豊かな人生を過ごしても、最期のステージが孤独であったら幸せな人生とはいえない。たとえ介護が必要になったとしても、最期まで尊厳のある生き方をしたいとこの本を読み終えて考えさせられた。


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『尊厳ある介護』を読んで   富田結衣


 「介護」、この言葉はどうしても避けてしまいたくなる。見て見ぬふりをしてしまいたくなる。これはきっと私に限らず、同世代の男女はもちろん親世代にも共通するだろう。できることなら介護をしたくないと思っているし、介護士さんやヘルパーさんなど「介護」を仕事にする人はさぞ大変だろうと思う。本書を読むこの機会を通じて、ざっくりと感じていた「介護」に対するマイナスイメージと自分の経験を考えるとともに、今後自分に訪れるであろう「介護」に対して考えたい。

 私が「介護」に対してマイナスイメージがある理由は、幼い頃から両親とともに「介護」をしてきたからである。特に小学生の時は、友人の祖父母とのお出かけなどのエピソードを聞くたびに羨ましく感じたり、なんで私はみんなみたいに普通に遊んだりはできないんだろうと悲しい気持ちになったりもした。

 私は生まれる前から、母の地元で暮らしている。私の出産と母方の祖父母の「介護」のタイミングをきっかけに引っ越してきたそうだ。祖父は私が小学校 1 年生の時に他界したが、祖父は一切目が見えなかった。聞いた話だと、私が生まれる少し前に失明したそうだ。祖母はこのことがよっぽどショックだったのか、耳が聞こえなくなってしまった。これも私が生まれる少し前の話だ。この 20 年で何度も手術を行ってきたが、いまだに治ることはない。

 幼少期の私は祖父母の「介護」を当たり前だと感じていた。なぜ目が見えないのか、なぜ耳が聞こえないのか、イマイチよくわからなかったけど、きっとこういうものなんだと理解していた。だからいつも両親に倣って祖父母と接していた。
 祖父と話すときは、いつも座っていた椅子の背もたれをトントンと叩いて、「ん?どうした?だれだ?」と聞く祖父に名前を言ってからいろんな話をして、いろんな話をしてくれた。
 今思えば、祖父には私の姿や表情は一切見えていないはずなのに、いつも私のほうに顔を向け頭をなでながら話を聞いてくれたことやよく笑ってくれたことはすごく不思議でならない。
 祖母との会話には、紙とペンが必須だった。小さい頃から兄や両親に字を教えてもらって、幼稚園の時にはとっくに文字が書けるようになった。それでもみんなで会話しているときや、紙やペンがない状況が生まれたときは、祖母が一人ぼっちになってしまう気がして、いつもどこか寂し気な顔をしている気がして、どうしたらチカラになってあげられるのか必死に考えた。

 現在も継続されているのかは不明だが、当時 NHK のニュース番組で手話講師がニュースを伝えているものがあり、「これだ!」と思って、小学校低学年時は毎日手話の本を読みながら一生懸命覚えた。自分で覚えながら同時に祖母
に教えることに苦労したが、今年87歳になる祖母はほとんど手話を忘れてしまったので、今となっては使い道がどこにもない。

 私の祖父母の「介護」の経験は、ほんの一部でしかない。例えば、母はもう20年以上祖母の難聴と向き合っている。難聴だけでなく、足や腰も悪く、しょっちゅう病院に連れて行かなければならない。母は仕事をしているので、仕事の合間にご飯の準備から病院の予約などをこなす。仕事の時間にはヘルパーさんを雇い家事をしてもらい、また週に数回デイサービスにも通わせている。
 母の生活を思うと、本書を読み進めることがとても苦しかった。「介護」が必要な人に向き合うこと、対等に接することなど、「介護」をする人へのアドバイスがいくつも述べられていたが、頭ではわかっていても、体力的にも精神的にも金銭的にも心が窮屈になってしまい、難しいのだと思う。

 現実、「介護」を通じて鬱になる人や事件を起こしてしまう人がでているのも同じ原因だと思う。
 私の経験を踏まえて述べるならば、「介護」と疎遠な人や「介護」とそろそろ向き合う必要がある人に本書を読んでほしい。私の知っている「介護」は、両親から学んだ祖父に対する思いやりや自分が行動した祖母に寄り添うことそのものである。
 ただ、どちらも私は生まれながら「介護」を要する環境にあったため、当たり前に自然と学び感じたものである。だからこそ、「介護」をどうしても避けてしまい、見て見ぬふりをしたくなる人に少しずつ向き合えるようなきっかけ作りとして本書を手に取ってほしいと改めて思う。


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『尊厳ある介護』を読んで   根岸鈴音


 私の祖母は認知症でした。それも比較的重度の認知症です。脳血管性の認知症と診断された数か月後に転倒し、それからは一気に認知症が進み、日常のことを自分で行うのが難しくなったそうです。私の祖母は私が物心ついたころには既に認知症を患っていたので、祖母が健常者であったときのことを私は知りません。その為、私と祖母はまるで他人でした。何度会っても覚えてはもらえず、何を話せばいいのかもわかりません。何かを話したとしても同じことを何度も話さなければなりませんでした。近くの施設に入っていた祖母のもとへは両親とともに度々訪問していましたが、当時の私は正直、とても憂鬱でした。

 この著書で1番印象に残っているのは“認知症になった母の中に見つけた愛情”のエピソードです。このエピソードは“認知症の方の愛情”が書かれていましたが、このエピソードで私が思い出したのは“介護者側の愛情”です。私の祖母はほぼ寝たきりで、食事も自分では取れませんでした。寝たきりではありましたが、時折理不尽な理由で癇癪を起こしたりもしました。私の父は次男であったため、祖母とは離れて暮らしており、時々施設へ見舞いに行く程度でしたが、長男で祖母と暮らしていた私の叔父は、頻繁に祖母と言い合いをしていました。祖母が認知症を患ってからは些細なことで喧嘩になり、祖母が認知症を患う以前に比べ、親子仲はかなり険悪になったそうです。

 ある時、施設へ祖母を連れて行こうとした叔父に向かって祖母が「私は家にいたいって言っているのに、どうしてこんなことをするの!?」と言い、それに対し叔父は、「俺だってもう限界なんだ!もう自由にさせてくれ!」とその場から去ってしまったことがありました。当時の私はその状況がとても怖かったのを覚えています。
 その時の私は、こんなにも叔父さんが苦しい思いをしているのなら、もう祖母を完全に施設にいれてしまえばいいのに、なんてことを考えてしまいました。しかし、その後も叔父は最後まで祖母を完全に施設にいれることはなく、日中通う施設についても「快適に過ごしてほしい」「施設ならどこでもよいわけではない」という思いが叔父の言葉の端々から感じられ、“叔父の祖母に対する愛情”が痛いほど伝わってきました。
 認知症の方にも愛情があると書かれていたように、介護者側の愛情も強いからこそ互いに苦悩があるのだろうと感じました。
 
 その後、新しい施設に移った祖母を訪問すると、祖母はとても明るくなっていました。その施設は叔父が探し回って決めた施設だったそうです。私は頻繁に訪れることができていたわけではないので、その施設でなにがあったのかは詳しくはわかりませんが、この著書で施設の方や、周囲の方々の接し方によって多くの患者さんの症状が改善されていったのを知り、祖母も叔父が探し出した施設で良いヘルパーさんに恵まれたのだろう、と感じました。

 当時の認知症患者への世間の認識は今よりもずっと厳しかったように私は思います。認知症患者は何もできない、子供だと思って接しなければならない、といった考えがあったかのように思います。現に私自身、認知症患者への認識は甘く、祖母への接し方がわかりませんでした。しかし、この著書にもあるように、また、祖母がそうであったように、周囲の人間の接し方によって認知症は改善されると知りました。当時の私も認知症についてしっかりと理解し、正しい接し方ができていれば私と祖母は他人のようにはならなかったのではないか、と思います。わたしがこの著書で認知症について多く知ることができたように、これからどんどん認知症患者への理解が世に広がることを願います。そう思える機会を与えてくれた一冊でした。











 

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